ブルバキとランダウ

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数学原論

 現在2018年11月30日5時26分である。(この投稿は、ほぼ6418文字)

 ブルバキの『数学原論』という本を、全く知らない人は、この投稿を読み始めていないだろう。

 だが、一応、説明しておこう。

 『ブルバキ』とは、フランスの数学者集団が、理想的な解析学の教科書を作ろうとして、『数学原論』という一連の書籍を書いたときの、ペンネームである。

 ファーストネームも、決まっていて、『ニコラ・ブルバキ』という。

 このブルバキのメンバーで、リーダー格だったのは、何と言っても、アンドレ・ヴェイユであった。


 ブルバキセミナーは、通常ワインを飲みながら、始められた。

 ヴェイユは、隣の出席者と、ベチャクチャしゃべっている。

 発表者が、その日、用意してきた、新しい原稿の話を始めても、構わずしゃべっている。

 ところが、その発表者が、話し終わった途端、ヴェイユが、

「おい、そこの証明、ここに不備があるぞ」

と、発言し、発表者がタジタジとなるのが、常だったという。

 これは、『悪ガキ、ヴェイユ』として、『数学セミナー』に紹介してあったことのように覚えている。


 ブルバキは、完全にセルフコンテインド。

 だが、1939年に、出版され始めたので、その後に数学で現れた、圏論というものを、説明しなかった。

 ブルバキのメンバーは、最初に圏論から始めれば良かったと、かなり後悔したようである。

 私は、圏論から始めて、ブルバキを再構築しようかとも、迷った。

 しかし、圏論というものを、実際勉強してみると、やっぱり集合論を、ある程度勉強してからでないと、伝えたいことが、読者に分からないな、という結論に達した。

 そこで、『数学原論』の、集合論も飛ばさず、読んで行くことにする。


 さて、『数学原論』を、読んで行くのだが、この本は、現在日本では、訳本が、絶版になっている。

 本来なら、1984年(前半)と1986年(後半)が、訳本の最新版なのに、1968年の古い版までが、アマゾンで一冊4,500円などの高額で、取引されている。

 私としては、こんなことでは、日本の数学のためにならないので、完全な最新版を、訳そうと思った。

 そこで、フランス語の原書を手に入れた。

 これである。

N. BOURBAKI ÉLÉMENTS DE MATHÉMATIQUE Théorie des ensembles Springer

 だが、私は、フランス語は、2カ月くらいしか、勉強したことがない。

 そこで、フランス語の勉強もかねて、序文なども、訳そうと思う。

 私はかつて(1993年頃)、フランス語の勉強をしようと思って、デュマ・フィスの『椿姫』のフランス語の古本を買ってきて、訳し始めた。1ページで挫折したが、良い思い出である。

 多分、『数学原論』のフランス語は、『椿姫』のフランス語より、易しいだろうと思う。

 なお、日本語訳も、全37巻所持している。


 ところで、フランス語版の訳を付けるだけが、私達の目標ではない。

 ブルバキは、一部の人からは嫌われている。その理由の一つに、数学的に抽象的で厳密すぎるというものがある。

 人の温かみがないと言っても良いかも知れない。

 だがこれは、最初の『集合論』の、厳密さについて行かれなかった人の言葉だ。

 実は、読み込んでみると、『集合論』も、ブルバキのメンバー達が苦労して、一つ一つ定義していった過程が分かり、非常に温かい文章であることが、分かるのである。


 そうは、言うものの、ブルバキの、論理学の説明は、なぜこんなものを定義するのか分からず、また通常の数学の本にはない記号が現れるので、面食らう。

 ブルバキは、次の4つの記号を用いる。

{\square,\ \tau,\ \vee,\ \neg}

 {\vee}{\neg} の2つは、私達も、『または』と『否定』の記号として、同じ意味で、用いる。

 だが、{\square}{\tau} は、私達は、採用しない。

 ブルバキは、{\square}{\tau} を用いて、{\forall}{\exists} を導入するのだが、私達は、私達流の方法で、{\forall}{\exists} の2つを導入する。

 この場合、ブルバキ{\forall}{\exists} と、私達の {\forall}{\exists} とが整合しなければ、読んで行く上で支障が生じる。


 実は、ブルバキ{\square}{\tau} を用いた {\forall}{\exists} は、選択公理の記述において、私達の {\forall}{\exists} より、証明能力が強いことが分かってくる。

 ブルバキは、選択公理を、定理として、証明してしまうのだ。

 従って、ブルバキの数学は、{\mathbf{ZF}}(ツェルメロ・フレンケルの集合論)を考えることはできず、{\mathbf{ZFC}}({\mathbf{ZF+AC}})(ツェルメロ・フレンケルの集合論選択公理)を当然のこととして、受け入れている。

 私達が、これから展開する数学は、ゲンツェンによる1階述語論理の自然な体系 {\mathbf{NK}} に、集合論に適するように、推論規則を1つだけ追加した {\mathbf{NK_{\in}}}(エヌカーエレメント)を、用い、{\mathbf{BG}}(ベルナイス・ゲーデル集合論)の公理を足場にして築いた数学である。

 追加する推論規則を、明示しておくと、以下のものである(私のリンク集の『NKとBGの要約』参照)。


 定義(推論図XIV.{\{\ |\ \}}導入)(がいえん、どうにゅう)

{\exists Z \forall X (X \in Z \Longleftrightarrow \varphi(X))}
{\rule{5cm}{0.3mm}}
{\forall X (X \in \{Y|\varphi(Y) \} \Longleftrightarrow \varphi(X))}

[変数条件]

ただし、{Y,Z}{X}に関する述語式{\varphi(X)}に現れない束縛変数である。


 {\mathbf{BG}} では、通常、選択公理は仮定されているが、私達は、闇雲に {\mathbf{BG}} を信じるのではなく、選択公理が強すぎる公理なので、もっと弱い公理から、数学が築けないかと、チェックしながら読み進めよう。

 選択公理が強すぎるとは、選択公理を認めると、ルベーグ積分不可能な関数が構成できたりしてしまうことだ。

「リーマン積分不可能な関数だってあるのだから、ルベーグ積分不可能な関数があったって、当然じゃない?」

と思う人は、まだ勉強が足りない。

 実は、{\mathbf{ZF}}に、選択公理より弱い、従属選択公理というものを加えた集合論{\mathbf{ZF+DC}}では、ルベーグ積分不可能な関数は、構成できなくなる。

 {\mathbf{DC}}は、Dependent Choice である。

 厳密には、


 定理(Solovay)

 {\kappa}を到達不可能基数として、{G}{\mathrm{Col(\omega ,\kappa )-generic}}とする。このとき、{V[ G ]}は次の性質を満たす内部モデルを持つ:

(a)すべての実数の集合はルベーグ可測である。

(b)すべての実数の集合はベールの性質を持つ。

(c)すべての実数の集合は完全集合の性質を持つ。

(d)従属選択公理{\mathbf{DC}})が成立する。


という成果をソロヴェイが、1964年に上げている。


 通常数学者が用いている数学は、{\mathbf{ZFC}}である。

 {\mathbf{ZFC}} で、ルベーグ積分不可能な関数を構成できるのは、常識であろう。

 ルベーグ積分不可能な関数がないと言ってる時点で、もう今までの数学と異なる公理を仮定していると気付かなければならない。


 新しい公理とは、或る意味可算な集合のみを、考えることにするという約束をすることである。

「それじゃ、実数を扱えない」

と思うかも知れないが、レーヴェンハイム・スコーレムの定理により、実数の可算モデルが存在する。

 コーエンの強制法は、この『可算』ということを利用して、今までの数学の達成できなかったことを、やったように思う。

 ソロヴェイは、強制法を用いて、上の定理を、証明したのである。

 一応、従属選択公理というものと、それから導かれる、非常に使いやすい、可算選択公理というものを、明示しておこう。


 公理(XXIII.従属選択公理)

{\forall X \forall R [ X \neq \emptyset \wedge R \subset X \times X \wedge \forall u (u \in X \Rightarrow \exists y (y \in X \wedge ( (u,y) \in R)))}

{\Rightarrow \exists f ( \mathrm{Fnc} (f,\omega,X) \wedge \forall n (n \in \omega \Rightarrow (f(n),f(n+1)) \in R)) ]}


 公理(XXIV.可算選択公理)

 すべての空でない集合からなる、可算な集合は、選択関数を持つ。

{\forall X \forall g [X \neq \emptyset \wedge  \mathrm{Fnc}(g,\omega,X)}

{\Rightarrow \exists f (\mathrm{Fnc}(f,\omega,\cup X) \wedge \forall n (n \in \omega \Rightarrow f(n) \in g(n))) ]}


 可算集合であるかどうかは、すぐ分かることが多いので、この公理を利用しているか、一般の選択公理を使用しているかは、はっきりする。

 ツェルメロの整列可能定理や、ツォルンの補題を、一般の集合に、無制限に使うことも、代数学などであり得るが、どこまで可算選択公理で、進めるか、これから楽しみである。


 私達が、用いる、{\mathbf{BG}} の公理系の、ひとつひとつの公理については、このブログのリンク集にある、『NKとBGの要約』の中の、

NKsummary.PDF

及び、

BGsummary.PDF

を、参照して欲しい。

 {\mathbf{BG}} は、完全に、{\mathbf{ZF}} を、含んでおり、さらに、その公理22個すべてが、自由変数を含まない閉論理式で、記述されている(分出公理が、置換公理から導かれることに注目)。この分出公理や {\mathbf{ZF}} の置換公理は、任意個の論理式の代表を表す {\varphi(z)}{A(a,b)} などを含んでいるので、{\mathbf{ZF}} では、公理を有限個に、まとめられなかった。しかし、{\mathbf{BG}} は、22個だけで、他には必要ない。このことを、{\mathbf{BG}} は、有限公理化可能と表現する。

 このことのメリットは、本当に22個の公理をコンピュータに入力して、それだけで、論理の公理を用いて、証明が間違いないかどうか、チェックできることである。


 それでは、前置きが長くなったが、

ブルバキ数学原論

を、読み始めることとする。



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N. BOURBAKI

ÉLÉMENTS DE

MATHÉMATIQUE


THÉORIE

DES ENSEMBLES



Springer



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 これの、日本語訳は、


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 ブルバキ

 数学原論


 集合論

  1


 東京図書株式会社


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 まず、どこにも、『ニコラ』と、書いてないではないか? という疑問に答えなければ、ならない。

 そのためには、次の本を、開いてみる必要がある。

ブルバキ『数学史 上・下』(ちくま学芸文庫

 表紙にはっきり、ニコラ・ブルバキと、書いてある。

 スペルは? と思って、見返しを見ると、

Nicolas Bourbaki

とある。

 ブルバキという名前の由来は、ヴェイユが学生だった頃、先輩達が、新入生いじめの一環として、易しそうな講義から始めて、とんでもないハイレヴェルな話へ持って行き、最後を、架空の『ブルバキの定理』で、締めくくった、という伝説からきているらしい。

 ニコラの方は、ヴェイユの奥さんのエヴリンの発案らしい。

 実は、フランス語で、数学というのは、通常複数形の、

mathématiques

となるらしい。

 題名で、

mathématique

となっているのは、数学は統一されている、あるいは我々が統一する、という意思の表れだという。

ensemble

が、『集合』である。

 日本語の本に『1』とあるのは、フランス語版では、

第1章 形式的な数学の記述

第2章 集合論

第3章 順序集合 基数 自然数

第4章 構造

集合論 要約

が、すべて1冊になっているのに対し、第1章と第2章を、『集合論 1』、第3章を、『集合論 2』、第4章を、『集合論 3』、要約を、『集合論 要約』、として、発売したためだ。

 これで、扉に関しては、終わりである。

 途中、従属選択公理だの、コーエンの強制法だの、と、難しい話をしたが、『数学原論』は、セルフコンテインドであるので、安心して読んで行って欲しい。

 それでは、今日は、ここまで。

 現在2018年11月30日15時57分である。おしまい。