現在2022年3月29日18時16分である。(この投稿は、ほぼ2605文字)
麻友「昨日、最後のところで、言ってたけど、ブルバキって、37巻もあるの?」
私「確かに、訳本は、37巻ある」
若菜「37巻、読むつもりなんですか?」
私「集合論と、位相と、位相線形空間、には、要約の巻がある。それから、多様体は、要約が2巻あるだけ。だから、集合論(1~3)、代数(1~7)、位相(1~5)、実一変数関数(1~2)、位相線形空間(1~2)、積分(1~5)、リー群とリー環(1~3)、可換代数(1~4)、スペクトル論と、32巻だけ、読もうと思っている。まあ、多様体の要約の巻に、私なりに、証明付けてもいいけど、そこまで行ってから、考えよう」
結弦「1巻読むのに、1年とか、かからないの?」
私「それは、十分有り得ることだ。ただ、集合論だけで、討ち死にしても、そのデータは、ネットに残る。読むのが大変だと、一般には、言われている、ブルバキの、丁寧な注があったら、読み始める人も現れるかも知れない。その役に立てば、私としては、嬉しい」
麻友「じゃ、始めましょ」
私「あらかじめ、スキャンしたものを、載せておく」
私「2006年のノートも、参考として、上げておく」
私「始めるよ」
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における記号列とは、 の記号を一列に並べて書いたものであり、文字以外の或る種の記号を二つずつ、その列の上を走る鎖とよばれる線で結ぶこともある。 たとえば、 を特殊記号としてもつ集合論においては、
┌──────────┐
│┌─────┐ │
は一つの記号列である。
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麻友「ウフフ、太郎さん、苦労しちゃって」
若菜「上の絵の、鎖ですよね」
結弦「罫線使って書くなんて、化石のような記号使いだなあ」
私「タブレット使って書くなんていうワザは、持ってないんだ。ただ、ブルバキの時代も、こういう絵を書くというのは、大変だったようで、この集合論の第1巻で、鎖の書いてある絵は、この後、3カ所でしか、出てこない」
麻友「つまり、鎖というものは、必要ないのね」
私「標準的な、記号論理学では、使用されなくなっている」
私「もうひとつ、私は、後のために、注を付けたいのだが、
研究者注
ここだけ読むと、full-indicated でない場合も許しているようだが、本文p.11 l.15 にあるように、 は、 を含まない。
注終
麻友「何を言ってるの?」
私「この後、鎖の使い方は、11ページまで、出てこないんだけど、そこで、 というのを、 みたいに、 を、 で置き換えて、鎖でつなぐんだ。このとき、 1個だけを、 で置き換えるのは、ありなの?と、疑問が湧く。でも、私が、full-indicated と言っているのは、full(全部)が、indicated(指定されている)場合を、ブルバキは、想定しているよ。と、言っているんだ」
若菜「全部の を、置き換えるということですね。ところで、ブルバキは、まだ定義していないものの話は、しないのでは、なかったでしたっけ」
私「良く気付いた。上で、
たとえば、 ~ は一つの記号列である。
と、と で、囲まれているだろう」
結弦「思い出した。星印で挟んであるところは、まだ分かっていなくてもいい、例なんだったね」
私「そう。読者への注意ね」
麻友「太郎さん。そんなのまで、全部チェックしてるの?」
私「それくらいしてないと、先へ進んで、何も分からなくなる」
麻友「こわ~」
若菜「進めましょう」
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記号列ばかりを用いていると、印刷や理解の面で極度の困難が生じる。通常の教科書で形式的な数学にはない省略的記法(とくに日常言語における言葉)を用いるのはそのためである。かかる省略記法を導入することが定義というものの目的である。それを用いることは理論的には不可欠ではなく、また混乱のもとにさえなることもあり、ただ或る種の習慣によってのみそれを避けることができる。
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若菜「お父さんのノートの、41ページ目に差し掛かりましたが、ここまで、40ページも、何を書いていたんですか?」
私「忘れちゃった? 本の扉や、読者への注意、第1章を読むための注意、序、と、読んできたじゃない」
若菜「ああ、あれで、ノート40ページですか。ノートって普通30枚綴りで、60ページですよね。1冊を、半分以上使ったということですか?」
私「その通り」
麻友「今日は、ここまでにしましょ。続かなければ、意味がないわ」
私「おやすみ」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
麻友「おやすみ」
現在2022年3月29日20時58分である。おしまい。