現在2019年6月21日18時46分である。
「えっ、ブルバキ、連投? 『現代論理学』やってからじゃ、なかったの?」
少し、強引に、進めないと、麻友さんが、面白いと思えるほどの、内容のある数学にならない。
若菜「女の人に、強引に迫るというのは、良くありませんが、数学に迫るなら、いいかもです」
結弦「本当に、面白いの?」
まあ、読んでみなって。
1ページ目。
結弦「この本に書いてあることをそのままの形で受け入れていくことが、結局は一番の近道であると思う。って、書いてあるよ。でも、それが唯一無二の方法であるわけでもなく、とか、どうなってるんだ?」
若菜「ああ、きっと、訳すときに、すごく困ったのでしょうね。こんなこと書いても、読者わからないだろうなって」
「太郎さんは、どうだったの?」
この『第1章を読むための注意』を、テキストでは、4ページ、ノートで8ページ写して、その次にある、『序』に、1ページ入ったところで、2005年の初登頂の試みは、ついえる。
「正直なところを、言って欲しいわ。これは、今の太郎さんに、説明できるの?」
大丈夫だよ。
若菜「凄い自信ですね。2005年には、これで、挫折したのに」
私が、1回目、『序』で、挫折してから、何回アタックしたことか。
結弦「もうちょっと、ノートを見てみるか」
よし。
結弦「以下に簡単に述べた解説は読む必要のないものでもあるし、また読まれたにしても、第1章を読まれるときには、もう一度はじめから出なおしということにしていただきたい、とか、とんでもないこと、言ってる」
それだけ、ブルバキが、レヴェルが高いんだ。
「『第1章に論理的根拠を与えたものではない』という部分に太郎さんが、アンダーラインを引いて、何かメモしてるけど、読めないわ」
『つまり、意味論と同値であることを、証明したわけではないということ。 2018.8.4 18:10:23』
と、メモしてる。
「太郎さん、読めるの?」
若菜「お父さんは、オリジナルのノートを、見てます」
結弦「当然だな」
「それで、意味論と同値って?」
これから、『現代論理学』でやることは、『現代論理学』の第1章で、命題論理と呼ばれる、 (イグジスト)(存在する)という記号や、
(エニ)(任意の)という2つの記号のない、
や、
などの記号だけの、論理学で、正しいか正しくないかを問題にせずに、形式的に、記号を意味を考えずに扱う立場、それを、構文論(syntax)というんだけど、その構文論ともうひとつ、意味を考える、意味論(semantics)というものがあるんだけど、その両方が、同じ結果を与えるということを、証明するんだ。
若菜「なんか、とんでもない、試みですね。そうすると、第2章では、 や、
が、加わった論理学でも、構文論と意味論が、同値になることを、証明しないと、気が済まないですね」
良く分かったな。それを、第1階の述語論理という。
その第1階の述語論理でも、構文論と意味論の同値性が、証明できる。記号論理学の、最初の華々しい成果だ。
そのことを、『第1章を読むための注意』で、証明してあるわけではないから、ブルバキの第1章に書いてあることが、意味を考えても、正しいということを、証明して、ブルバキが正しいということの根拠を与えたわけではない、と訳者が言っているのだな、と、私が思ったということ。
「太郎さんが、思ったのか。その証明は、どこにあるの?」
私が、読んだ限り、第1章にその証明はない。
若菜「それは、ブルバキとしたことが、片手落ちでは?」
いや、数学で、意味論を論じなくても、許されることは、許されるんだ。『数学基礎概説』は、構文論だけしか、書いてない。私は、『現代論理学』を読むまで、意味論は、知らなかった。
結弦「お父さんの知っていることの、限界というのも、あるんだな」
少し、進めてみよう。
「太郎さんの青いボールペンで、書いてあることは、何?」
ああ、これは、どうでもいいことだ。
句読点の句点を、打たなくて良いとか、言ってるだけだ。
「2014年にも、ここを、丁寧に読んでいるということね」
元の字は、2005年のものだから、私が、HのHi-uniの鉛筆で、書いたものだろう。2014年4月の青いボールペンは、入院する前だから、ゲルインキボールペンの青で、書いたものだろう。2018年のは、去年だから、麻友さんの下敷きを敷いて、この前、壊れちゃった、紺色のクルトガのシャーペンで、Hi-uniのFの芯で、書いたもののはずだ。
若菜「nonって、フランス語ですか?」
まあ、そうだけど、英語でも、『ノン-フィクション』とか、言うよね。
結弦「et は、かつ、ou は、または、とか、かな?」
数学は、言葉が少ないから、『数学原論』の本文に入ったら、フランス語の原書も、引用できるかも知れない。
『星の王子さま』も、読めないけど、フランス語の数学の論文なら、読めると言っていた、数学者もいた。
若菜「 と、
が、なぜ同じなんですか?」
これは、結構、難しいんだ。
真偽表というものを、書かないと、理解しにくい。
まず、 と
が、それぞれ、正しい(◯)か、正しくない(✕)かの、どちらかで、あるとしよう。
という表の、 と
が、それぞれ正しい(◯)か、正しくない(✕)のとき、表の右の空欄を、埋められるか?
結弦「 は、
が成り立てば、
が成り立つなんでしょ。だったら、
が成り立って、
も成り立ってる場合は、正しいことを言ってることになるから、
のすぐ下は、◯だ」
若菜「同じように考えると、 が成り立っているのに、
が成り立たない場合は、
は、正しくないことを言ってるので、✕ですね」
「ほらほら、こうなるのよ。私が、難しい問題を、解かされる。 が、成り立たない場合なんて、
は、どう考えればいいのよ。太郎さん」
うん。特待生でも、解けないか。条件を、丁寧に、チェックする。 は、
が、成り立つ場合のことを、書いてる。だから、
が成り立たないなら、問題はなく、スルーできる。
「スルーするって、この場合、どうすること?」
◯にするってこと。
「えっ、でも、✕の可能性は?」
✕に、できないだろ。
「✕にできないから、◯にするって、いつもの太郎さんののんきな判断で、良いのかしら。他の論理学の本、見てみようかしら?」
やめた方が良い。
先日、相対性理論のブログの『プリン君のシャーペン』という投稿で、読んでいると書いた、『直観主義的集合論』

- 作者:竹内 外史
- 発売日: 2008/11/01
- メディア: 単行本
は、日本で唯一の、いや世界でも珍しい、直観主義的集合論の本で、そこでは、
『Aが正しい』
ということを、
『Aを確認する方法をもっている』
と、捉え直すことで、新しい数学を、作っている。
だから、その本では、
は、
『Aを確認する方法が与えられたときに,その方法をもとにしてBを確認する方法を作る方法をもっている』
と定義される。
思いっきり書いちゃうけど、
は、成立するけど、
は必ずしも成立しない。
「そうなると、どうなるの?」
本当に、否定の否定が肯定にならない論理となる。
若菜「どうして、そんな本読んでたんですか?」
自分のやっている数学が、本当に、真理を穿ったものだろうかと、ちょっと、心配だったんだ。
結弦「でも、数学自体が、矛盾するとか、そういうことは、ないんでしょ」
おお、良いこと言うじゃないか。ブルバキは、数学自体が矛盾するということに対して、どういう意見だったか、『第1章を読むための注意』の後の、『序』の最後に、ブルバキの見解がある。
若菜「楽しみですね」
「さっきの と、
の違いは?」
の方は、私達が、『現代論理学』を読んで行くときや、NKとBGの要約の中の私の記述での
と、同じ使われ方をしていて、
の方は、
が、正しいという主張のときだけ、使うのだと、竹内外史さんが、書いている。
「なんだ、太郎さんも、分かってないのか」
完璧には、分かってない。
いずれにせよ、排中律という、 という
か、または、その否定
というものの、どちらかが成り立つと仮定しないと、数学は翼を持って、飛ぶことができない。
『翼はいらない』
という歌もあったけど、麻友さんのように、
♪その背中に、夢の翼(はね)が、生えてる
人達は、どんどん飛翔して、上から全体像をつかめ。
「そうだとすると、
と、なるわね」
結弦、次の2行、埋めてみろ。
結弦「こんなの、簡単」
じゃあ、若菜。最後の行。
若菜「はい。どっちかが◯なら◯を付けて良いんですね」
おお、できたな。
「これで、何をやりたかったの?」
若菜の
『 と、
が、なぜ同じなんですか?』
という問いに答えるのが、目標だった。
若菜、最後の行、埋めて、何か感じなかったか?
若菜「最後の行の、◯✕の並びが、 と、まったく同じです。だから、この2つを、同じとして良いんだと分かりました」
お母さんに似て、賢い子だ。
「じゃあ、問題が解決したところで、どんどん、進みましょ」
よしきた。
これは、注記の字が、ノートの向こうのページにまたがっているので、もう1ページ。
若菜「お父さんも、ここが、分からなかったようですね」
「2018年8月4日18時26分30秒に、『←まだ分かってなかったな』と、書き記してるわね。何が、分からなかったの?」
ブルバキが、ここで、 という『Rを成立させるxが存在する』という記号の定義を、分かりにくいやり方で、やってるんだ。2005年に読んだときも、分からなかったし、2006年も、2009年も、2012年も、2014年も、2015年も、2017年も、分からなかった。霧がかかったようになっていたのが、晴れたのは、2018年。
ちょっと、21時過ぎちゃって、眠いから、この続きは、明日書くね。
現在2019年6月21日21時12分である。中断。
現在2019年6月22日15時44分である。
今日は、本当は、11時頃から、書き始めていた。
「真偽表を入れるのに、苦労したのよね」
またひとつ、 の手法を、身につけた。
結弦「『Rを成立させるxが存在する』という記号の定義を、分かりにくいやりかたで、やっているって、そもそも、『Rを成立させるxが存在する』って、なんですか?」
この場合、Rは、 みたいな式なんだよ。
結弦「だったら、 とか、存在するから、Rを成立させるxが、存在するな」
若菜「そんなに、甘くないんじゃない?」
結弦「どういうこと?」
若菜「考える数が、整数だけだったりしたら?」
結弦「あっ、そうか」
結弦のようなことも含めて、 が、出てくると、論理学が、一気に難しくなる。
『』は、『
が成立するような
が存在する』
という意味を、表すとする。そうなると、
『』
は、どういう意味だ?
結弦「 が存在して、
でない、が、成立しない」
若菜「つまり、 でなくなる
が、存在しない。つまり、すべての
で、
が、成立する」
「それを、 と、表す訳ね」
結弦「あっ、持ってかれた」
3人の合わせ技で、 の方も、分かったな。
ところで、ブルバキは、 という表し方で、満足しなかった。
結弦「どういうこと?」
という記号を、持ち出し、『
』について、『
』を満たす、『
』が、ひとつでもあったら、そのような『
』のひとつを、『
』と、表すことにした。
「そのような『』のひとつって、どれかに、特定しないの?」
どれに、特定するかは、その場で決めることとなる。
ただ、1度特定したら、以後は、フラフラと変えたりはしない。
まあ、ここまでは、分かるんだ。
次が、分からない。
「どういう取り決め?」
『』を満たす、『
』が、ひとつもなかったら、『
』は何でも良い、何かひとつの対象を表すということに、しておく。
と、決めてるんだ。
若菜「何でも良いって、無責任じゃないですか」
そう。そこで、私も、良く分からなかった。でも、 が、出てくるのは、第4節からなので、分からないけど、取り敢えず写して、先に進むことにした。
若菜「気持ち悪くないですか?」
ただ、数学の文献で、気持ち悪いから、進めない、をやってると、ほとんどの文献が読めなくなる。
「でも、太郎さんは、ここに関して、2018年に、克服してるのよね」
うん。
ゆっくり考えよう。
まず、
が、成り立つとしよう。
つまり、 を満たす、
が、存在する。
そうすると、そういうものの1つを、 と、表せる。
ここで、ブルバキは、 の
を、
で、置き換えることを、
と、表すと約束した。
つまり、 の中の、
を、全部、
で、置き換えたわけである。
そして、 を満たす、
の、ひとつを、
としたのであったから、
が、成り立っていることは、ある意味、今は、当然である。
式で書くと、
が、分かった。
今度は、逆に、 が、成り立っているとしよう。
を満たす、
が、なかったとしたら、
は、何でも良い、ひとつの対象ということになっていた。
何か、不都合なことが、起きるのではないか?
私も、ずっと気がかりだった。
だけど、
『 が、成り立っている』
ということは、 の
に
を代入したものが、成り立っているということなのだ。
「あっ、分かった。 の
に代入して、成立するものが、ちゃんと、あるということなんだ。だから、・・・」
結弦「取り返そう。 ならば、
を満たす、
が、存在する。つまり、
なんだ」
若菜「まとめると、 が、証明されたのね」
この事実に鑑み、ブルバキは、
『 とは
のことである』
と、定義する。
「あれっ、太郎さん。私達、分かっちゃったわよ」
若菜「お父さんが、『NKの要点』や、『BGの要点』で、言っている、選択公理云々は、関係ありませんでしたけど」
見かけ上、普通の記号論理学と、同値な様に、見えるんだ。
だけど、 を満たす
のひとつを、
と表すことにすると言ってるけど、そんなものを、具体的に持ってこられるとは、限らないんだ。
結弦「具体的って?」
それは、ドラえもんのブログで、真理のカメさんを、導入するとき、身にしみて分かるよ。
あるものを、実際持ってこられるとは、そのものを与える、アルゴリズムを、示せるということに、なってくる」
「パソコンに詳しくない太郎さんが、アルゴリズムなんて、分かってるの?」
ほとんど、わかってないけど、意味は、合ってると思う。
結弦「いや、アルゴリズムというものについては、僕たちの方が、分かってる。真理のカメさんって、作るアルゴリズムが、ないのか」
若菜「私達は、幼稚園の頃から、プログラミングを、習った世代ですからね。お父さんやお母さんとは、勝負にならないんですよ」
「21世紀初頭に、小学生でパソコンオタクだった私でも、かなわないなんて」
さて、今、言ったことが、分かっていると、ノートが面白いように分かる。
「ちょっと待って、14ページの、かすれてるメモは?」
が常に偽なら、上の命題は真。2018.8.4 18:21:56
というもので、この部分を、まだ完全に理解してなかったときのものだ。
「15ページの復習というのは?」
」2017.12.22 14:06:00 復習
とあって、その日、ブルバキから離れるときのメモだ。
次のページは、ちょっと、読みにくい。
若菜「なんか、読者注)の中が、グチャグチャですけど」
これを、解きほぐすと、
読者注)
というのは、
という関係を成立させるような
の1つを表すようだが、良く分からない.本文を読む時のお楽しみとしよう.
→分かった. について
となる
は
となるよ、という当たり前のことを言い、
として、そういう性質を持つものを表させ、そうなる対象を
として表したのだ.従って集合論では
以外の集合の1つだ. 2012.8.27 20:34
上の、空集合 から、線を引っ張って、さらに、次のように書いている。
以外の任意の集合というのは、
より、
が元を含むからである. 2012.8.27 22:57
若菜「ご本人にしか、復元できませんね」
実は、この部分。私は、テキスト本文に、次のように書き込んでる。
「lien というフランス語の単語の読み方ね。あっ、これ、電子辞書に積んだ、フランス語の辞書に、発音させたんでしょう」
それを、言いたかったんだ。
ちゃんと、役に立ってる。
最後は、記号の整理が、行われる。
最後のページと、これを、読み終わった感想のページ。
「あれっ、確か、この注意書きは、テキストで、4ページと、言ってたわね。でも、この後の『序』は、テキストで、8ページあると、書いてる。どんなものなのか、ちょっと、恐ろしいわね」
フランス語原著で、『序』を進めるのを、やめた理由が分かるでしょ。
若菜「初めは、これ全部、フランス語でやるつもりだったんですか?」
結弦「僕らでなくたって、無理だと分かるよな」
「太郎さんって、そういう無謀な人なの。だから、私に恋したりするの」
世界には、色んな人がいる。数学では、多様体は、manifold か variety なんだけど、小林りんさんが、提唱してるのは、diversity みたいだな。
多様な人がいた方が、非常事態が訪れた時、色々な解決策を、生み出せる。
ただ、万国共通な言葉、数学が、いやいや学ぶものであったとしたら、誰も、この試みに、賛同しないだろう。
『フーリエの冒険』レヴェルで、満足するのでなく、まともな数学を、体感したい人のために、このブルバキへの登頂はある。
「まともな数学って、今の太郎さんにとって、これなのね」
麻友さんには、楽をさせてあげるために、計算力を付けさせる。そのために、スマホで計算できるようなことは、どんどんやらせようと思う。
「私、それやらなきゃ、ダメ?」
初めから、拒否するのは、よくない。
まず、やってみてから。
「分かったわ。今日はもう、11,414文字になってる。おしまいにして」
はい。バイバイ。
「バイバイ」
現在2019年6月22日21時34分である。おしまい。